牛乳をはじめ、乳飲料、ヨーグルトなど、私たちの身近な食品に幅広く使われている乳製品。これらは単に栄養を供給するだけでなく、風味や食感、さらには安全性や機能性といった価値を支える存在として、食品産業に欠かせない役割を果たしている。乳製品の製造は、原料乳の品質管理から殺菌・加工、製品ごとの特性設計に至るまで、高度な技術と厳格な管理体制が求められる分野であり、乳業メーカーの技術力と信頼性がそのまま製品価値に直結する。
こうした乳製品分野において、長年にわたり継続的な事業展開を行ってきたのがトモヱ乳業株式会社である。同社は牛乳・乳飲料・カップ飲料・デザート類など多様な飲料・乳製品の製造販売を中心に、学校給食や家庭用・業務用など幅広い用途に対応してきた。徹底した衛生管理のもと、原料受け入れから製造、品質検査、出荷に至るまでの一貫した品質管理体制を構築し、安全・安心なモノづくりを重視している。
企業規模の拡大とともに組織運営や人材育成、安全管理といった新たな課題が顕在化する中で、いかにして社員の積極性を促し、自走する組織へと進化させていくのか。関係者の皆様からお話を伺った。
(※ASAP 2026年 No.1より)
生・処・販、三位一体の成長
引き継がれる『医食同源』の使命
創業の経緯についてお聞かせください
中田氏:
当社は2026年で70年目を迎えます。食肉ハムなどを扱う関東畜産工業株式会社が前身なのですが、戦後、経営難に陥っていたところを、1956年(昭和31年)、私の父が21歳の時に借金ごと買い取り、初代社長に就任したのが始まりでした。
その後、事業を乳業へ特化させていくのですが、そのために社名を変更すべく近くの神社へ相談したところ、巴のマークを見せていただき、生産者・処理メーカー・販売店、これらが三位一体となって成長していくように、父はそのマークの中に「生・処・販」という文字がポンと浮かんだそうです。こうして、1962年(昭和37年)に現在のトモヱ乳業株式会社へと社名を変更し、新たなスタートを切りました。
当時、牛乳はどうしても腐りやすいものなので県内で商売をすることが当たり前でした。しかし、この古河という地は茨城県の西の端に位置しているため、全く勝負にならない。それであればと、父はその常識を打ち破り、埼玉、栃木、群馬へと販路を拡大していきました。この古河の地は半径100㎞で円を描くと関東地方がすっぽり入る、つまり関東のど真ん中にあたります。牛乳の品質が良くなって賞味期限が延長され、どんどん遠くまで運べるようになると、この立地こそが当社の商機につながっていきました。
また、父はスーパーマーケットと早くから取引を始めていました。当時は「スーパーなんかと付き合っちゃだめだよ。スーパーって、スーと出てきてパーっと消えちまうんだ」なんてことも、ずいぶん周りからいわれたようなのですが、海外への渡航経験が豊富だった父にとってみれば、先見の明といいますか、必ずこれから日本でスーパーマーケットが大きくなっていくというものがわかっていたようです。
代表取締役社長 中田 俊之 氏
これまでの歴史や転機についてお聞かせください
中田氏:
大きな転機は第一工場が完成した1994年(平成6年)です。当時はまだオンボロな町工場だったのですが、その工場を見たお客様から「見に来てよかった、こんな工場じゃ付き合うわけにいかない」と背後でいわれ、父は涙が止まらなかったそうです。この出来事を発端に、「誰にも文句をいわせない工場を作るんだ」と父の心に火をつけて、当時の年商が50億の時に50億を借りて第一工場の建設を決意したそうです。ちょうど工場が完成した頃から、製造メーカーの製造者責任が非常に問われる時代となり、今度はお客様の方から「こうした最新鋭の工場を持つ会社と付き合いたい」と、どんどん契約数が増えていき、1994年(平成6年)に70億だった年商は、約10年後の2005年(平成17年)には200億をこえるくらいまで急成長しました。
もともと、第一工場は年商200億をこえたら手狭になってしまうということがわかっていたため、第二工場の建設計画が始まったのですが、そんな矢先に東日本大震災を経験しました。被災県ではありながらも、1日も休まずに社員たちがしっかりと働いてくれて、お客様に無事提供できました。その時に、安全・安心は当然ながら、安定供給の重要性を改めて感じて図面を書き直し、自社専用の蓄電池と特別高圧変電所を備えた停電の無い工場にしました。さらに、4500パレットを収容する立体倉庫は、当社が最大で製造した際に3日分を保管できるようにし、また、20m以上の立体倉庫がことごとく被災時に機能しなかったことをふまえ、18mに高さを変更。荷崩れ防止などの工夫も盛り込み、相当の災害でも機能する構造としました。こうして、安全・安定・災害対策を徹底した第二工場が2013年(平成25年)に完成し、稼働を開始しました。
震災時の安定供給によりお客様から非常に信頼を得て、当時は年商300億くらいの規模まで拡大しました。第二工場が立ち上がり、それを見届けるかのように翌年の2014年(平成26年)に父が逝去し、私が社長を引き継ぎました。その後も顧客ニーズに応え続け、現在は年商500億弱まで成長しています。
大切にされている考え方や理念をお聞かせください
中田氏:
トモヱ乳業は「産業の中に文化あり」「医食同源」「安全で安心な牛乳・乳製品等を通して社会に貢献する」という経営理念を掲げています。父は、「産業があるからこそ、生活基盤が生まれて文化が育つ」という思いを貫き、その象徴として、世界150か国から約5000点を集めた牛乳博物館の開設をはじめ、ミャンマーでの乳業合弁会社設立やパラオへの牛の提供、地域情報発信のためのテレビ局設立、防災ヘリ事業の開始、静御前の伝説に基づく銅像建立など、地域や世界への文化・社会貢献を積極的に進めてきました。
私は社長就任前の15年間、医師として医療に携わっていました。父が掲げた「医食同源」という理念には、牛乳は健康の源であり、我々の仕事は医療と同じだという誇りが込められています。医師だった私がこの道を引き継ぎ、医食同源を実現していくことは、私自身の使命でもあります。また、60周年の際に経営理念を再度ふり返り、トモヱスピリッツ「MILKとともに」を策定しました。これはM:mission(使命)、I:integrity(誠実)、L:love(愛情)、K:keep(継続)という4つの柱で構成され、安全・安心な牛乳・乳製品等を安定供給し、社会に貢献する使命を全社員で共有するものです。現在、第二工場の稼働を経て第三創業期の真っ只中、第四創業期に向けて新たな企業像を描きつつ、経営理念に基づいた事業と文化の継承を続けています。
工場設備
半径100㎞に収まる巨大商圏と、
日本最大級の工場が生み出す競争力
貴社ならではの強みについてお聞かせください
中田氏:
最大の強みは、この古河という立地にあります。半径100㎞で円を描くと、関東地方がすっぽりと入り、日本最大の商圏をカバーできるのです。チルド配送において、100㎞をこえる輸送はコスト面で非常に厳しくなります。関東のど真ん中に位置し、物流効率が日本で最も良いこの場所に、国内最大規模の生産効率を誇る市乳工場を構えていること。これこそが他社には真似できない一番の強みですね。
この地の利を活かしながら、安全・安心に関する投資をより高いレベルで継続してきました。また、安定した供給を確保するため、関東生乳販連さんや全農さんとの強固なネットワークを構築しています。特に北海道の生乳なくして日本の乳業は成立しませんが、私たちは飲用牛乳と乳製品のバランスを考慮した需給コントロールの一翼を担い、酪農家さんが丹精込めた生乳を無駄にせず、安定してお客様へ届ける体制を整えています。
労災ゼロへの壁と「自ら考え行動する」
主体性の弱さが課題
弊社のコンサルティングを導入する前に、どのような課題をお持ちだったのでしょうか
中田氏: 私が感じていた課題は3つありました。1つ目は、力を入れているつもりでも労災がゼロにならない現実。2つ目は、工数管理。「人が足りない」という声が、単なる「1人減ったから、1人欲しい」という足し算ではなく、工数に基づいた論理的な根拠を示してほしかった。そして3つ目は、当社の社員たちは真面目で誠実ながらも、ややおとなしい方たちが多い。そのため、「自ら考えて行動する」という主体性をもっと伸ばしたいと感じていた点です。
佐藤氏: 労働災害の問題点は同様に認識していました。また、5S活動にも取り組んではいたのですが、なかなか定着せず、すぐに後戻りしてしまう。与えられた業務は着実にこなす一方で、自ら課題を見つけて行動することが苦手な点だと感じていました。
常務取締役 佐藤 俊彦 氏
国府田氏: 従業員が100人程度の頃は一枚岩といいますか、「阿吽の呼吸」でやってこれましたが、今や400名に近い規模となり、組織的、体系的な運営が不可欠となっています。これからの将来を見据えた時、やはり「人を成長させたい」という思いが強く、それを内部だけで実現するのは厳しいと感じていました。
生産部 部長 兼 第二工場長
国府田 正徳 氏
九頭見氏: 当時は現場に近い係長という役割でしたが、とにかく次世代の育成に悩んでいました。メンバーそれぞれにポテンシャルはあるはずなのに、どうすれば自ら考えて行動してくれるようになるのか。その解決策を模索している最中でした。
第一工場長 九頭見 忍 氏
風景化していたフォークリフトの傷を
的確に指摘された1日工場診断
弊社の1日工場診断を受けた印象はいかがでしたか
佐藤氏: 例えば、フォークリフトについた傷。これが当たり前のように「風景化」していると。それが放置されていること自体、安全意識の低さの表れだと見抜かれました。また、計器の記録が単なる作業になっていないかといった指摘など、よくありがちではありますが、そこを見逃さない、現場のことを理解して指摘されているという印象でした。
中田氏: フォークリフトの指摘は本当に衝撃的でした。まさにその通りだなと。災害ゼロを継続している企業様のフォークリフトはやっぱり綺麗ですので、非常に納得感がありました。
国府田氏: 現場の状態が、実は「普通ではない」のだと理解できたことが大きかったです。自分たちだけでは気づけない盲点を指摘していただいたことで、そこを改善していく仕組みづくりやルールづくりという部分にすごく期待が持てました。
コンサルティング導入の決め手はありましたか
中田氏: 安全面と生産性向上の両面について、本質を突いた指摘をいただけた点ですね。5S活動自体はこれまでも取り組んできましたが、時間が経つと後戻りしてしまう現実があり、その「後戻りをどう防ぐか」という提言、さらにフォークリフトの傷や決められたことができていないという部分は、徹底的に指導していただきたいと思いました。また、生産性向上をテーマとする中で、標準時間の整備と工数管理が不可欠であり、短期間では完成しないからこそ着実に作り上げるべきだという考え方を示していただいた点に、大きな説得力と魅力を感じました。
佐藤氏: 労働生産性については、乳業界では参考事例が少なく、他業界の事例をそのまま現場に当てはめるには難しさがあるものの、よいきっかけになるのではと思いました。また、提案書では「企業は人なり」という考え方で締めくくられていて、まさしく私も同様に考えていました。この部分に強く共感し、「自ら考え、行動する人づくり」という基本方針に向かって、着実に取り組んでいけると感じられた点も大きかったです。
やらされ感や心理的不安が強い反発へ
全員参加と成功事例の共有が転機に
コンサルティングを導入した当初はいかがでしたか
佐藤氏: これまでにもさまざまな活動を行っており、やらされ感のような意識が芽生えないかといった懸念はありました。また、労働生産性においては、非常にハードルが高く、強い反発がありました。もしかしたら、「人が減らされるのではないか」という不安があったのかもしれません。しかし、一部の社員が自発的に進め、「こうやれば良くなる」という成功事例を皆に伝えてくれたことで、ようやく浸透し始めました。
国府田氏: 「忙しい中でまた違うことをやるのか」というマイナスのイメージを持たれないよう、展開には非常に悩みました。井原先生からは「全員参加でやるもの」というアドバイスをいただきながら、チーム名やテーマを自分たちで決めるところから始め、少しずつですが「楽しんで参加できる雰囲気」を作ることに注力し、なんとか一歩を踏み出せました。
九頭見氏: 実は、私自身が最初は導入に反対していました。自分たちなりにしっかりと5S活動はできているという自負がありましたから、また5S活動なのかと。しかし、これまでは「整理整頓」のための5Sとして実施していましたが、今回の活動で取り組むべきは「安全・品質・効率」のための5S活動だということで、めざす場所が全く違うのだと理解し、考えを改めました。導入後は、現場の負担が増える中でいかに前向きになってもらうか、事務局のメンバーと「褒めて伸ばす」をコンセプトに、盛り上げる工夫を重ねました。
品質保証・商品開発部門
社員たちの驚くべきタレント性や
主体性が開花し、チームワークも向上
コンサルティング導入の成果はいかがですか
中田氏: 驚いたのは、社員たちがこれほどまでに生き生きと発表し、ユニークなスライドが作れる才能を持っていたことです。「受け身だ」と思っていたのは、会社がもっと活躍の場を与えるべきだったのだと痛感しました。今では社員たちが自ら「居心地の良い職場」を作り始めていて、デザイン力やセンスを発揮しています。頭角を現す社員が出てくるなど、人材が揃ってきたことを改めて再認識させていただく場にもなっており、非常に嬉しいですね。
佐藤氏:
例えば、ポールに塗料を塗り、そこが傷つけばわかるようにして記録するなど、具体的な仕組みを構築し、お陰でフォークリフトが傷つくことは少なくなりました。
また、私も同様に、個々の優秀な能力が発揮され、新たな発見の場になっていると感じています。そういう人材をもっと発掘して、活動に更なる拍車をかけて欲しいですし、社員たちの底上げができているという部分が一番大きな成果だと思います。
国府田氏: プロジェクトでの経験が日常業務にも波及し、企画提案など主体的に活躍する社員が増えています。まさに、種から芽吹いて花開くような方たちも多く出てきて、非常に嬉しいですね。また、小集団活動としてテーマを共有しながら周囲を巻き込むことで、全体のチームワークが向上している点も大きな成果だと感じています。
九頭見氏: 今回導入されたMKK(自ら考え行動する)活動が全社的な取り組みとして位置づけられたことで、自分たちが実現したいことを会社がサポートしてくださり、それが活動自体を楽しむ姿勢や自信へとつながっていきました。現場から積極的な提案が出てくるようになったことは、この活動を通じて担当者の成長を実感する部分でもあります。また、安全を意識した改善が日常的に行われるようになり、先回りした対策の積み重ねによって、労災が続いていた工程では、昨年と比べて労災自体が減っているという成果も生み出しました。
人材を育て、自走できる組織をめざして
トモヱ乳業がつむぐ未来を確かなものに
今後の目標やめざす姿をお聞かせください
中田氏: 今後の目標は「独り立ち」です。いつまでも外部に頼るのではなく、自分たちで仕組みを作って、継続していくこと。そのために専任の担当者を決めて、育成も始めています。やり続けなければ、結局は後戻りしてしまうと思いますので、続けていくことが最も大事だと考えています。また、「安全・品質・効率」については、この順番が大切ですので、そこは絶対に守りながら、常に上をめざし続ける会社でありたいです。
佐藤氏: このMKK活動を定着させるだけでなく、さらに高いレベルへとスパイラルアップさせていく必要があります。そのために社内体制を整備し、人材育成を強化することが不可欠です。井原先生から学んだ指導方法や人の褒め方などを管理者が吸収し、いかにして現場のモチベーションを上げていくのか。これまでのメッセージを全ての社員に伝えていけるように、私たちも頑張っていかなければいけないと思います。
国府田氏: もちろん、独り立ちは最終的にめざしますが、現在はまだ、職場間で活動内容や達成度のレベルに差があります。そこをしっかりと横の連携で解消して同じようなレベルに持っていくこと。そして、現場だけではなく、間接部門も含めた全社的な成長へとつなげたい。将来にわたって、維持・成長できる仕組みを今のうちにしっかりと作り上げていきたいです。
九頭見氏: 私自身、トモヱ乳業という会社に育ててもらいました。70周年を通過点として、今後も企業を存続させていくためには、やはり人材育成が本当に欠かせません。このMKK活動、いつかは卒業しなければいけないですが、その精神を引き継ぎ、自ら考え行動できる人材を絶えず輩出して、100年、150年、さらには300年続けられるような企業にしていきたいと思っています。
取材にご協力いただいた方
トモヱ乳業株式会社
代表取締役社長 中田 俊之 氏
常務取締役 佐藤 俊彦 氏
生産部 部長 兼 第二工場長 国府田 正徳 氏
第一工場長 九頭見 忍 氏
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【コンサルティング事例】 トモヱ乳業株式会社 様






