国内コンサルティング事例

株式会社夕月様

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生産性向上活動による
更なる利益獲得と人材育成の実現

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 本ページでは、株式会社夕月様に対するコンサルティング実績をご紹介しています。
 平安時代に発刊された「類聚雑要抄」は、宮中の恒例・臨時の儀式、行事における調度について詳しく記載された古文書である。永久三年(1115年)七月廿一日戌子、関白右大臣、東三條へ移御の際における祝宴の高坏の図には、「蒲鉾」の文字と絵が記されている。しかし、当時の蒲鉾は焼き竹輪のようなもので、現在の主流である蒸しかまぼこが登場するのは江戸時代末期のことである。このように古来より日本の食文化に深く関わってきた蒲鉾は、長い間、結婚式などの特別な機会に供されるものとして認知されてきたが、1960年代、高度成長期の頃には、日本の家庭の食卓に欠かせない身近な存在となった。そしてその定着に大きな役割を果たしたのが福島県いわき市を拠点とする「株式会社夕月」である。同社では創業者の「どこよりもおいしいかまぼこを作りたい」という志と伝統の製法を受継ぎ、時代の変遷、未曾有の自然災害などを乗り越えて、現在新たな価値創出を目指した企業経営を推進している。今後更なる高齢化社会の進行と共に市場の縮小、更なる競争の激化が予測される中、既存の概念を打破して、利益体質の企業への変革をいかに図るのか?現場の意識を変え、次世代を担う人材の育成をいかに進めるのか?
 関係者へのインタビューを元に、同社の取組みを製造現場で利益を生み出す意識改革のケーススタディとして紹介する。
(※ASAP 2021年 2号より抜粋)

かまぼこを家庭の日常食へ。既存の概念を打破した経営戦略

 株式会社夕月の創業は昭和26年(1951年)、当初は北洋漁業の一大拠点として栄えていた江名港の北口で、水揚げされた魚を原料として、干物に加工し販売を行っていたが、その後江名港前に移転。その場所でかねてからの念願であったかまぼこ事業を本格的にスタートした。初めは家内工業的に展開していた事業であったが、昭和30 年(1955 年)には現在本社がある泉へ拠点を移し、かまぼこ事業では後発であったにも関わらず、味の良さが認められて、築地市場で取引が始まり、東京の魚屋で販売されるようになっていた。当時はまだ手作りで、石臼で練り上げたかまぼこを、蒸篭で蒸して作っていたが、昭和37年(1962 年)頃には手作りでは間に合わない状況となり、売上も飛躍的に伸びていたことから、当時開発されたばかりの洋上すり身を原料とし、かまぼこ生産の機械化を行うことを決断した。生産方法はリテーナ成形法という大量生産が出来る画期的な方法で行うことになった。しかし、当時、この生産方法が常磐地方にはなかったため、現在の代表取締役社長 清水 淳子氏の父親、2代目栄安氏が、すでにリテーナ成形法で生産を行っていた新潟のかまぼこメーカーを視察し、これを自社に導入したことで、板かまぼこの大量生産が可能となった。また、当時の日本は核家族化が進み、食生活のスタイルにも変化が出ていたことから、従来よりコンパクトな規格の食べきりサイズの板かまぼこを開発。販売にあたっては夕方の子供向けのアニメーション番組でテレビCMを放映するというマーケティング戦略を実施した。親しみやすいCMソングの効果もあり、このCMは大きな反響を呼んだ。時代のトレンドを読んだ商品開発、大量生産を可能にした機械化の導入など、数々の取組み全てが功を奏し、同社の板かまぼこへの需要は飛躍的に拡大。企業としての更なる成長を遂げる礎を築くことができた。また当時はまだ社名として創業時のマルヤス水産株式会社を名乗っていたが、CM効果などで夕月という商品名が非常に流通したことから、社名も株式会社夕月とすることになった。夕月の認知拡大に大きな功績があり、現在も主力商品である、板かまぼこの「ホワイト」と「レッド」は当時の築地市場で凄まじいほどの人気を博し、商品を載せたトラックが荷下ろしするのをお客様が待っているような状況であったという。この人気は単にCM効果やサイズの変更というマーケティング戦略だけで作られたものではなく、創業当時からの味へのこだわりを大量生産になっても追い求め、「手作りの時と同じ味を再現するためには、どうすればいいのか?」ということを試行錯誤しながら作りこんでいった過程があり、社長の清水氏曰く「石臼の中ですり身と格闘」するような努力の結果、築地市場というプロが評価する場所で、味そのものに対する非常に高い評価を得たことが、その最大要因であったという。以降時代の変遷に伴い、基幹商品である板かまぼこ以外にも、竹輪、かに足など惣菜型商品の開発なども行い商品ラインアップを拡充し、企業として更なる成長に向けた着実な歩みを続け、平成4年(1992年)には、かにの捕獲が難しいという状況を踏まえ、新たな設備投資を行い、かに足の技術を生かして開発した、かに風味のかまぼこが一大ブームとなった。

東日本大震災による甚大な損失。その回復に向けた全社一丸での取組み

 平成23年(2011年)3月11日に発生した東日本大震災は、いわき市にも甚大な被害をもたらした。夕月の工場内も地震の影響でいたるところに亀裂が入り、ガラスの壁が割れ、事務所の中はぐちゃぐちゃになった。大地震が発生した時刻はかまぼこ作りが終わって出荷待ちのかまぼこが山のようになっていた時間帯。繰り返す余震の中、立っていられないような状況だったが、全員が駐車場に集まって安否確認をし、携帯でそれぞれの家族と連絡をとった。幸いにも従業員とその家族全員の無事が確認できたため、従業員には帰宅してもらうことにした。
 その後、避難所での食料調達が難しいことを知り、出荷できなかったかまぼこを配ろうと消防や警察に問い合わせたが、当時は救助が優先で掛け合ってもらえなかった。そこで従業員が手分けをしながら避難所や集会所など、出来る限りかまぼこを配った。
 工場の状況としては、機械に直接の影響はなかったが、原料のすり身500トンが保管されている冷凍庫は水冷のため、ライフラインが止まっている状況でも、水を供給しなければならず、当時の工場長とボイラー担当者が、井戸水をくみ上げて冷却用の水を供給し、何とか冷凍庫を保つことが出来たという。それでも1ヶ月後、もう何としても稼動しなくてはならないという状況で、やはり水の配管がどうしてもつながらず、最終的には配管を掘り起こしてバイパスを組み、ようやく水が供給され工場を稼動することが出来たという。ただ、その1ヶ月間、流通への供給が滞ってしまい、新潟の大手かまぼこメーカーが設備投資によって商品を増産し、夕月の棚はその会社に奪われてしまった。その後、巻き返しを図る中、いわき市が拠点では風評被害なども免れないという意見もあり、一時、工場を関東の近くに移転することも検討した。しかし、思ったほど風評被害も出ず、またそのような検討に時間を割く間も無い状況で、営業担当を中心とした、並々ならぬ努力の結果、棚の8割を震災前の状態に戻すことが出来た。ただ新潟の大手メーカーが黙っているわけも無く、価格競争を生み出すことになってしまい、以降、経営的には非常に厳しい状況が続いている。
 現在のかまぼこ市場は量販店のシェアが拡大する中、海外からの安い輸入品なども入り、価格競争がさらに激化している。大型スーパーの魚肉練り製品コーナーは、かつて最大16尺ほどの大きなスペースであったが、現在はその半分程度になっていて、かまぼこ市場の低迷は深刻な事態である。しかし、近年、再びかに足商品のブームが起こるなど良い兆しも見られる。時代に則した商品の開発などにより、新たな需要の喚起を掘り起こし、伝統食としてのかまぼこの復権が期待される。

より効率的な組織づくりと社員の成長を実現する企業改革への取組み

 清水氏によると、東日本大震災以降の価格競争の激化、超高齢化社会の到来など、日本社会の構造変化に伴う市場縮小など、夕月の経営を取巻く外部環境の変化と共に、家内工業的な事業から急成長を遂げた歴史の中で、社内の「質」の変化が追いついていなかったことが、今回のコンサルティング導入の背景にあるという。

清水氏 コンサルティング導入時の課題は、当社のこれまでの歴史に基づいたものであり、急成長を実現した際の設備と、それに付く人員の配置。そして、その動き方が現在の経営状況に即した形になっていないことにありました。一つの機械に対して人員が多く付いてしまう傾向にあり、縦割りのような形になってしまっていて、このラインには、この人数が絶対に付かないといけないという状況を生んでいました。売上が拡大し、市場が成長している時はそれでもまかなえていたのですが、現在はかまぼこに対する需要が減少し、流通でのスペースもどんどん縮小されています。日本社会の人口構造も本来とは逆のピラミッド型で、高年齢化がますます進行しており、消費の力強さも欠けている状況です。このような状況を踏まえた上で、現在の板かまぼこを中心としたビジネスから、将来的に新たなカテゴリー拡大などに取組み、更なる成長に向けてチャレンジする可能性を追求していくためには、当社の資産である現状の人、設備を活かした、効率の良い生産体制構築が不可欠だと考えていました。

 清水氏がもっと効率的な人、設備の活用の仕方があるのではないかと考えておられた時、ちょうどテクノ経営からのDMで、現在コンサルティングを担当する沢柳が講師を務めるセミナーの案内が届いた。セミナーには清水社長と夕月の将来像についての検討を進めていた専務取締役 奥野 高士氏も一緒に参加することになった。

奥野氏 私は30 歳で当社に転職し、入社以来ずっと営業部門を担当していました。担当エリアも東京支店だったため、工場に来るようになったのは、事業統括部長という役割になってからのことです。以降、工場の現場で様々な仕事に関わるようになりました。工場に来た当初、何かちぐはぐな印象を持っていたのですが、それが具体的にどこから来るものかよくわかりませんでした。ただ当社の場合、創業以来、良い意味でも悪い意味でもワンマン経営という側面があって、現場が思ったところを意見しても、跳ね返されてしまい、結局上から言われたことをやるしかない。それを無難にこなしていればいいというのが当時の工場の雰囲気でした。自分としてはそういう状況は今後会社の成長を考えた時、あまり良くない風潮だという意識を持っていました。

 奥野氏は営業視点で現場を見た時、効率の悪さ、目的意識の欠如などに疑問を感じ、自分達が何のために働いているのかという、企業としての根源的なテーマが現場に浸透していないため、色んな活動が空回りしており、同じベクトルで動いていないことに問題があると考えていたという。そこで社員の意識を変えるために、意識改革のセミナーを開催し、セミナー受講後に今まで閉鎖的だった社員が少しずつ変化し、発言なども増えてきたことから、やはり企業を変えるためには社員の意識が重要だということを再認識し、社員を様々なセミナーに参加させる取組みを継続することで、以前と比べると社内がかなり活性化してきたという印象を持っていたという。しかしせっかく社員の意識が変わっても、会社のシステムが変わらないことには、経営の成果にうまく結びついて行かないため、次の手はどう打つべきかということを清水社長と検討していた時、ちょうどタイミング良くテクノ経営のセミナー案内が清水社長に届き、2人で参加されたセミナーで大きな気付きを得ることができたという。

奥野氏 現在コンサルティングをお願いしている沢柳さんが講師だったのですが、そこでお聞きした話が一般論でなく、実際の成功事例に基づいて、非常にきめ細かく、深く掘り下げてご説明いただき、自分が現場に入り、実感したことをきちんと整理・分析しながら、お客様の目的に向かって誘導し、そして成功しているという事例を2件ほどお聞きし、今自分達が求めているのはまさしくこういうことだと思い、セミナーから帰る際には社長の清水ともう沢柳さんにコンサルティングをお願いしようという話をしていました。そして実際にすぐコンサルティングを行っていただくことになったのですが、その冒頭沢柳さんからは、当時カテゴリー分けで、縦割りの製造工程であった当社工場の各部署において、まず問題があることを集めましょうという提案がありました。疑問、難点、トラブルを全員で抽出し、それを一つ一つ直していきましょう、理解していきましょうということをまず初めにやっていただき、その結果やはりムダがあり、効率が悪いということもわかりました。さらに沢柳さんからは、もう少し活人化ができるのではないかという提案をいただいたので、まず初めに活人化の取組みを進めていただくことになりました。その他にも自分達が想像していた以上のコンサルティングをしていただき、現場に精通したプロならではの提案をしていただきました。例えば今3人でやっていることを、次週は2人でやってみようというような提案を受け、実際に3人でやっていたことを2人でやると色々問題が出てくる。そうならば今度は現場を変えていきましょうと、そこまで掘り下げたコンサルティングは当社ではこれまで経験したことのない現場指導であり、大きな変化を生み出していただいたと思います。

 このように経営層からの厚い信頼を受けスタートした改善活動だが、実際に現場で改善を行う社員は、当初これまでのやり方を変えるということに少なからず抵抗感があったと活動事務局を担当する商品部 部長 田中 元治氏はいう。

田中氏 これまで歴史のある工場を変えるということは社内だけでは難しいと考えていました。これまでにも色々外部から講師に来ていただいても結局うまくいかなかったという経緯があったのですが、社長と専務から沢柳さんのことをお聞きして、自分としてはぜひお願いしたいですと率直に答えました。ただ現場の反応としては、これまでずっと自分達がやりやすいやり方でやっていたことを変えることに当初は反抗感のようなものを持っていたと思います。ただ活動を進める内に、今まで自分の殻に閉じこもって、抜け出せなかった社員たちから、こうした方が良いんじゃないかという話が出るようになってきました。自分としてはそれが本当にすごく良かったことだと感じています。そういう変化は活動を始めて半年ぐらい経ってから徐々に出てきたのですが、沢柳さんの誘導の仕方がうまくて、無理やりではなく、諭すような感じで変化を促してくれたからだと思います。
 また、具体的な取り組みの成果として、原価低減の取り組みがあります。活動を通して、製品の歩留りが4ポイント向上しました。また、繁忙期に導入していた派遣社員の人数も活動前に比べると半数以下となり、活人化が進んだことで、生産量を落とさず繁忙期に対応できたと思います。この活動を通して、これまでのリーダーだけのつながりではなく現場を含めた横のつながりが強くなった気がします。それもやはり活動での連携が必要ということが要因であり、活動の成果だといえます。

活動を通じた社員の変化

 活動の目的には人材育成による組織のボトムアップが掲げられている。活動による社員の変化について清水氏は経営者として大きな喜びを感じておられるという。

清水氏 沢柳さんがこんな風にしたらという工夫を現場にどんどん提案してくれて、社員がどんどんほぐれていくのが見ていてわかりました。長い年月で凝り固まった考え方が、そうやればできるんだという可能性を見出して少しずつ柔らかくなっていく。経営者としてその過程を見ているのが、ものすごく大きな喜びでした。どんどん人が変わっていく。先日、朝のミーティングの冒頭で行う「グッド&ニュー」でも話をしましたが、それが本当にすごく嬉しい。人の可能性を引き出すのも人の力だと思いますが、最初は聞いていただけの人たちが、推進リーダー、沢柳さんと一体になって活動を進める中、どんどん意見を言い出し始めた姿がものすごく嬉しかった。本当に人って意欲があれば変わるんだと思いました。そしてその変化は経営にも徐々に良い影響として現れ始めています。現在の市場で売上を拡大していくのはすごく厳しいので、働く人の意識がものすごく大事で、その積み重ねが重要だと思っています。支出をどれだけ抑えるかという意識をムダにしない。自社の商品に思い入れを持つ。自分たちが今行っている過程が、良い商品づくりに結びついて、最終的にはお客様に喜んでいただけるんだというところまで思いがつながったら会社の力としては非常に大きい。そういう形に少しずつなってきていると思います。

奥野氏 当初はやらされ感があって、ここまでやればいいんだろうという感じがありましたが、活動を進める中で社員が本当にがらっと変わりました。実は数日前に新しい機械を入れたのですが、それに対する社員の思い入れが以前とは全く違うと感じました。自分達がこれを使っていくんだという思いを持ってくれて、何とか整備、調整しないといけないということで、自発的に取組んでくれました。この様な事を見聞きすると本当に意識が大きく変わってきたんだなと思います。これは当社にとって大改革だと思います。またこれまでは聞かないと言わないという体質だったのが、今は有言実行に変わりつつあるので、こちらが指摘することがないという形になってきています。考えて仕事をするということが出来始めていて、それが若手にも浸透し会社としてのボトムアップにつながっています。

今後のビジョン

 現在活動は社員の意識変革の取組みからさらに経営に直接つながる取組みへと進んでいるという。

清水氏 少し前の活動から、これまでとは違った取組みをお願いしています。これまでは社員の意識変革を活動の中心としてきましたが、それが一定の成果が出た状況を踏まえて、今後は組織・体制づくりなど、工場のシステムをどうするかということをテーマに取組んでいきます。活人化の面からは、一人ひとりの社員をどこに配置することで、どの様な生産ができるのか多能工化を進めて、オールラウンドで生産できる体制を目指し、精度を高めた活人化を図っていきたいと思います。
 また会社の今後のビジョンとしては、保有するブランド、設備、人の資産を有効に活用し、現在の商品から進化した、新しい商品づくりにもチャレンジしていきたいと考えています。当社ではこれまで板かまぼこを基幹とした経営を行ってきましたが、これからの時代の流れに沿った商品づくりにも取組んでいきたいと考えています。

 企業経営では変えてはいけないこと、変わらなくてはいけないことを見極め、持続可能な経営を推進していく必要があるが、長い歴史の中、「どこよりもおいしいかまぼこを作りたい」という創業の精神、いわき市という地域との強い関係性はこれまでと同様大切にしながら、新たな成長に向けて変化し、市場の既存概念を打破するための取組みを進める株式会社夕月。震災という大きな試練を乗り越えて、これからも力強く未来への歩みを進めていく。

取材後記

 まず冒頭に本取材にご協力いただいた、株式会社夕月 代表取締役社長 清水 淳子氏を始めとする関係者の皆様に心から御礼を申し上げたい。東日本大震災という未曾有の出来事の中、原料を保管する冷凍庫へ、社員の方が井戸水を運んだお話や、震災後、一度は失われた流通のフェイスを取り戻すための営業を中心とした努力など、震災後のお話はどれも当時の緊迫感と大変な環境を思い知らされるものであった。しかし、今、清水社長を中心とする株式会社夕月の皆様には明るい未来のビジョンがあることを教えていただいた。インタビュー中、清水社長が社員の変化が何より嬉しいとおっしゃられたが、会社にとって働く人の意識がいかに重要かということを改めて認識した次第である。今後も新たな成長に向けて、全社一丸で変革への取組みを進める株式会社夕月の挑戦に注目し続けていきたいと思う。

取材にご協力いただいた方

株式会社夕月 
 代表取締役社長  清水 淳子 氏
 専務取締役    奥野 高士 氏
 商品部部長    田中 元治 氏

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